救急救命士によるファーストコンタクト 第2版―病院前救護の観察トレーニング




第2版の序

医療機関という「場」は,患者の治療を行う場所である。そのために医師は患者の訴え,診察に加えて,心電図,超音波,X線,CTなどの高度な医療機器を駆使して,これらの医療機器が示した結果を解釈して「診断」する能力を備えていなければならない。

一方,病院前救護という「場」は全く異なる。高度な医療機器が存在しない上に活動時間も制約されている。病院前救護という場においては,要救護者の状況を「観て」「触れて」「聴いて」という五感を用いて把握した上で医学的知識に基づく評価を行い,対応できる設備が整った医療機関を選択して迅速に搬送する能力が求められる。

したがって,病院前救護活動の中心を担う救急救命士は,これら4つの能力を磨かなければならない。このうち最も本質的なものは「医療機関の選択」である。選択とは,①選択肢を挙げる,②選択肢の中から1つを決定,という2つを行うことであり,選択肢の豊富さ,決定に際しての科学的根拠性をいかにもてるかが専門職の能力なのだ。そして,その選択のために医学的専門性で行うのが,要救護者の状況把握と評価,すなわち観察である。

救急救命士の教育は,いつからかプロトコールという約束手法を、コース教育という統一方法で行うことに,その中心を置くようになった。活動時間の制約,公的サービスの一環,という現行の病院前救護の特性を考えると,その質を全国均一化するためにプロトコールという方法を採用することは必ずしも間違いではない。

しかし,教育は違う。教育の目的はプロトコールに使われる者を育成することではなく,その科学的意味を理解し,適用を含めてプロトコールを自在に使える者を育成することにある。同時に,教育とは現状を充足することに加えて、未来を構築していく種子をまくことでもある。

小さな本であるが,第2版を出させていただけることになった。今版では,近年の消防法改正を踏まえるとともに,トレーニング論など,救急救命士の未来を構築するための概念を盛り込んだつもりである。

麻酔科指導医としての手術室での仕事,救急専門医としての救命救急センターでの仕事,行政官としての厚生労働省での仕事,そして救急救命九州研修所での教育,どれが欠けても本書を作成することはできなかった。

すべての出発点である医学部に入学するのに時間を要した私を常に励まし,支援してくれた母に,そしてある日突然,臨床を離れて行政に行くと言い出した私の行動を理解し,応援してくれた妻と子供たちに、感謝とともに本書を捧げたいと思う。

2012年1月
郡山一明

目次

第1章 トレーニング論
A 救急救命士の役割は何か
1. マーケティングのSTPで考えてみる
2. 救急救命士の役割は Must not miss の病態を見つけること!
B プロフェッショナルへのトレーニング
1. 人にモノを付けるのか,モノに人を付けるのか?
2. 缶詰型教育と問題解決型教育
C 熟達段階―今,あなたがいる段階,これからの方向性
D 脳を鍛える
1. 見えないゴリラ
2. 郡山式 AIDMA法によるトレーニング
3. 「他覚所見>自覚症状>状況」を取り入れたトレーニング

第2章 Oxygen Delivery
A 生物にとっての酸素
1. 「生きる」の中心にあるもの
2. 救急救命士と一般人が同じ対応?
B 観察とOxygen Delivery

第3章 循環の観察
A マヨネーズを握る
1. 循環の意義
2. 心拍出量
3. どんなときに心拍出量が減るのか
4. 心拍出量の維持
B脈を触れる
1. 橈骨動脈を触れる
2. 頸動脈を触れる
3. 大腿動脈,足背動脈を触れる
4. 血圧の左右差,上下差
C 循環不全(うっ血)を見抜く ― 山手線で理解する
1. 心不全とは何か
2 左心不全による肺の変化 ― スボンジを持って風呂に入る
3. 右心不全 ― うっ血性心不全による頸静脈の性状
4. その他の変化
D 末梢循環
E. シミュレーション
1. 正常の循環状況を確かめる
2. 動脈閉塞を再現する
3. 頸静脈の性状を観察する

第4章 呼吸の観察
A 呼吸の原理を知る
1. 肺の意義
B 目で見る
1. ティッシュペーパーで肺胞内圧を見る
2. 呼吸の大きさと速さ
3. 生体はどんなときに分時換気量を大きくするのか
C 聴診器を使う
1. 肺胞呼吸音を聞いてみる
2. どんなときに肺胞呼吸音が聞こえなくなるのか
3. 気管支呼吸音を聞いてみる
4. どんなときに気管支呼吸音が聞こえなくなるのか
D 上気道閉塞パターンを理解する
E シミュレーション
1. 普通の呼吸を観察する
2. 左右差を見いだす
3. さまざまな呼吸状態でやってみる
4. チェックリスト項目

第5章 出血の観察
A 出血の生体への影響
1. 出血量は見た目ではわからない
2. 出血で足りなくなっているのは酸素か,それとも……
B バイタルサインの経時変化
C シミュレーション
1. バイタルサインの変化を感じる
2. Interest を鍛える

第6章 Oxygen Delivery のまとめ
A 酸素化と低酸素
1. Oxygen Deliveryを回転寿司に学ぶ
2. SaO2を理解する
B 低酸素の症状
C 努力呼吸の辛さ
Dバッグバルブマスクを使う一2つの役割
1. たくさんの酸素を投与する
2. バッグバルブマスクのもう1つの役割一呼吸仕事量を減弱する
3. 呼吸に合わせる
4. 「陽圧換気」がわかっている
E シミュレーション

第7章 中枢神経の観察
A 意識の観察
1. 病院前救護における意識確認の意義
2.「お名前を言えますか? 手を握ってみてください」一中枢神経の Attention
3. 意識レベルーJCSとGCS
4. 意識状態
B 脳局在機能の観察一意識レベルの次の Interest
1. 巣症状(Focal sign)
2. 眼の観察
3. 麻痺の観察
4. その他の巣症状
C その他の観察事項
1. 脳圧亢進とその進行
2. 心電図変化,肺水腫
D シミュレーション
1. 生体を使って以下の状態を再現せよ
2. シミュレーターを使ってクッシング現象を再現せよ

第8章 モニター心電図
A 影絵を映す
1. モニター心電図の概念
2. 電極の基本位置とダイアルの設定
3. 電極の位置と観察している部位
B モニター心電計で知りたいことを決める
C 心筋虚血一急性冠症候群とST 変化
1. 心筋虚血と急性冠症候群
D 伝導障害一不整脈
1. 不整脈の監視
2. 危険な不整脈
E. 電極を付ける
1. 右手に赤電極,左足に緑電極
2. 右肩に赤電極,V5に緑電極
3. 胸骨柄に赤電極, V5 に緑電極
4. 前壁,前壁中隔の心筋を見たい
5. たくさんの部位の心筋を見たい
6. 胸骨柄に赤電極,胸骨下部に緑電極
F モニター心電図のまとめ
G 心電図シミュレーション
1. 紙と鉛筆を使って
2. 心電図発生装置を使って

第9章 小児の特性
A 小さいということ
B「なのに」という Keyword
1. 循環系
2. 呼吸系
3. 体温

第10章 シナリオトレーニング
A シナリオトレーニングの意味
1. 郡山式 AIDMA 法の Interest をトレーニングする
2. 病院前救護における3つの観察
3. 疾患別シナリオ
4. 症候別シナリオー鑑別の重要性:Wason 課題と病院前救護
B. 疾患別シナリオ
1. 急性冠症候群
2. 気管支喘息
3. 脳卒中
C. 症候別シナリオ
1. 胸痛
2.腹痛

第11章 まとめ
A 観察を組み立てる一当選したお年玉付き年賀はがきを探す
B ピサの斜塔の定理
C 現場処置の有効性>迅速な搬送なのか

■付録1 気道確保(下顎挙上法)
1. 手技の位置づけ
2. ポイント
3. 実施の際の確認事項

■付録2 器具を用いた気道確保
1. 気道確保器具の原理を理解する
2. 頭の位置を変えてみる

■付録3 救急救命士が間違いやすい16ポイント+1

■索引

Note 一覧
・心拍出量を規定するもの
・E=I×R 脈拍の強さは末梢血管抵抗にも比例する
・自分の脈拍を触れてしまう
・心音との関係
・血圧の左右差の確認
・動脈閉塞があるとき
・呼吸の解剖と生理
・とにかく呼吸の左右差を聞きたい!
・mmHgとSa02
・ちょっと休憩
・赤ちゃんと成人の違い