毛筆書写検定の臨書―文部省認定




まえがき

文部省認定の毛筆書写検定は、多岐多様の書的表現を主張している現代書道に対して、基礎的な書写力を重視して評価する試験であるので、その専門クラスの一級・二 級の実技問題の中に、既に評価の定まっている楷・行・草や仮名の古典的作品を臨書させる問題が入っています。

その臨書の対象となる古典的作品は、すべて「毛筆書写検定の手びきと問題集」の中に示されていて、その数は四〇点の多きにのぼっています。これだけの数の法帖や古筆を一冊ずつ買いそろえることは、金額的にも大変ですし、それだけのものをどのように勉強したらよいか迷ってしまうことでしょう。

この本は、これら指定されている古典的作品のすべてをとりあげて、その書きぶりの特徴や習い方を最もわかりやすい形で展開させていますが、今回、さらに学習の効果があがる新しい工夫を加えました。

したがって、毛筆書写検定の一級・二級をめざす人は、ぜひこの本一冊と徹底的に取り組んでください。また、受験を考えていない人でも、この本を参考にして古人の筆の跡を習うのもたいへん楽しいし、またそこに、何か大きな意味があると思われるので、この本での勉強をおすすめします。

なお、この本のもとの書名は「書道検定の臨書」でしたが、昨年度まで書道検定の名称で実施されてきた文部省認定のこの検定試験が、平成二年度から毛筆書写検定と名称が変更されたため、この本も「毛筆書写検定の臨書」と書名を変更しました。

平成二年九月二十日
著者

江守 賢治 (著)
岩崎芸術社 (1978/05)、出典:出版社HP

目次

中国の作品

孔子廟堂碑
九成宮體泉銘
皇甫府君碑
孟法師碑
雁塔聖教序
顏氏家廟碑
告身帖
鄭文公下碑
張猛龍碑
高貞碑
牛橛造像記
始平公造像記
魏靈藏造像記
書風の比較
蘭亭叙

集字聖教序
枯樹賦
○争座位文稿

十七帖
真草千字文
書譜

礼器碑
曹全碑
乙瑛碑
史晨後碑
西狹頌
張遷碑
五鳳二年刻石

日本の作品

○李崎詩
風信帖
○白楽天詩卷
高野切第一種
高野切第二種
高野切第三種
粘葉本和漢朗詠集
○関戸本古今集
元曆校本万葉集
藍紙本万葉集
曼殊院本古今集
○大字朗詠集切
○元永本古今集
升色紙
○継色紙
寸松庵色紙
(○印は改訂版で加えられたもの)

私の臨書に対する考え
わが国の古筆(それは肉筆そのものの形で残っていて、私たちが見るのはその写真版)の臨書には、意臨とか形臨とかの語は存在しない。書いたホンモノずばりが対象だから、そんな主観的な見方の入る余地がないのである。

それに対して、中国の法帖(それらのほとんどは書かれた字をいったん石に彫って、さらに拓本という方法で紙にうつしとられている)は、紙ひとえの違いといわれているが、それは、石と拓本との違いであって、ホンモノの肉筆と拓本とはかなり違っているだろうし、北魏の造像の字にもなれば、それはもう想像の外である。そこに意臨・形臨という語の生まれてきた原因の一つがある。

しかし、書の勉強の途上にある者が、古典的作品を臨書するのに、我意を入れて書いたものをどうだといわんばかりに人に見せるのは思い上がりである。古典的作品を書いた古人その人の心を自分の心にして、すなおに習う気持ちで臨書してこそ本当の意臨である。意 臨の意は古人の意であって我意の意ではない。

臨書の目的は二つある
私は、古典の臨書には二つの大きな目的があると考えている。

その一つは、臨書の対象ときめた法帖なり古筆なりの書きぶりを習い、特徴ある字形をつかむことである。

この目的のためには、各法帖・古筆の一冊の初めから終わりまでを浅く何回も繰り返して練習するか、適当な分量(ページ数・字数) をきめて、それだけを深く何百回も繰り返して練習するか、どちらでもよろしいが、もちろん、この本は後者の方法を採っている。

臨書のもう一つの目的は、漢字の書写体・行書・草書、平仮名以外の仮名(俗にいう変体仮名)などの字の形をできるだけたくさん覚えることである。この二つめの目的については、この本の末尾にあるあとがきで述べることとする。

この本での学習法
この本は、各法帖・古筆を数ページずつとり上げ、その忠実な臨書例をしめし、それぞれの筆づかいや字形などをわかりやすく説明 しているので、効果的な学習ができると思う。

例えば、仮名の古筆が九種あるが、高野切の第一種・第二種・第三種の三つを比べながら習ってその相違点を知り、また、ほかの古筆でも、この高野切のどれに似ているのかどれにも似ていないのか、 似ていながらどこが違うのか、互いに比較しながら書いてみるという勉強法はどんなに効果があるか容易に想像ができよう。

私の書きぶりと練習法
私は、いつも筆の軸はほとんど垂直に立てて書いている。筆の軸が全く傾かないというのではなく、瞬間的には傾くことがあっても、 倒したり起したりはせず、まして筆の軸を回転させたり、筆をこねまわしたりはしない。

「九成宮醴泉銘などは、それほど練習しなくても、側筆すなわち筆を寝せて書けば、簡単にそれらしく書ける」といった書家がいた。しかし、あの九成宮醴泉銘を見て、側筆で書いたとは私にはどうしても思えない。私は、筆は必ず立てて書くものだと思っている。

私が臨書するときは、いつも、同じ字を何度も書かないで、一回書くだけでどんどん先に進んでいく。それは、全体をつかむためであり、また字体・字形や筆順をできるだけ多く知るためである。

それはまた、いつも作品や清書を一枚で仕上げる癖をつけるためでもある。毛筆書写検定の受験者は、与えられた枚数の紙で提出する清書を仕上げなければならないことを忘れないでほしい。一枚一 枚が清書であり、一枚一枚が真剣勝負である。

江守 賢治 (著)
岩崎芸術社 (1978/05)、出典:出版社HP