きのこの教科書 観察と種同定の入門




プロローグ

きのこの世界へようこそ。この本を手にとったあなたは、きっときのこに「心引かれるもの」を感じているのだと思います。素晴らしい!まずはその好奇心に敬意を評したいと思います。
私は大阪市立自然史博物館の学芸員をしている佐久間大輔と申します。自然史博物館という場所は好奇心の強い人を引きつけるホットスポットみたいなところで、「きのこ大好き!」という人はめずらしくありません。でも、もし、あなたが心斎橋や渋谷のような街中で、花壇の片隅にひょっこり顔を出したきのこを見て、「あ、コガネキヌカラカサタケだ!かわいい!」などと好奇心を向けようものなら、一気に「フシギちゃん」キャラが確定してしまいそうです。
それでもこのところ、きのこグッズや関連書籍の勢いはわりあいと強く、ややサブカル的ではありながら、ある程度の市民権を得ているように思います。
おとぎ話やゲームの中では、きのこはたいてい「魔法」や「毒」、ときには「パワーアップ」のアイテムとして登場します。確かにたくさんヒミツがありそうな、不思議な存在ですよね。ある日突然出てきて、あれ?と思っている間に消えてしまうきのこ。毒の怖さがある反面、健康食品としての紹介も目にします。こうしたことが全部ごちゃごちゃになって、不思議なイメージを作っているのかもしれません。世の中には、きのこを嫌う人もたくさんいますが、一方で多くの人が、きのこに謎めいたものを感じているのでしょう。
しかし、多くの人はきのこを遠巻きにして眺めているだけです。学校の教科書にもろくに登場せず、理科の成績にもあまり関係しないきのこ。そのきのこの知識を獲得するために、一歩を踏み出す唯一の推進力は好奇心です。プロローグをここまで読んだあなたには、間違いなくそれが備わっているでしょう。
街中で好奇心を露わにするかどうかは別として、自然史博物館に出かけたり、観察会に出かけたり、まずは好奇心を行動に移すことが重要です。
博物館では、大人から子どもまで、強い好奇心を持った多くの人に出会います。しかし、きのこのことをガンガン調べていく人は、まだ少ないように思います。その理由として、きのこを学ぶ難しさがあげられるでしょう。なにせ理科の教科書にもほとんど登場しない存在です。生物学を体系的に習った人でさえも、どうやって学びはじめればよいのかわからないようです。また、学校の理科の教科書には正解がありますが、きのこは違います。くわしくは後述しますが、目の前のきのこの名前が何であるかさえ「わからない」こともしばしばです。
名前だけではありません。そのきのこが「何をしているのか」、「どうしてここに生えているのか」、「なぜこんなに虫に食べられているのか」など、きのこには取り組んでみれば難しい「謎」がいっぱいあります。でも、それは捉えようによっては、チャレンジできる「謎」があるということで、時間をかけてじっくり取り組めば、ベールは少しずつはがれてくる……かもしれません。
あなたは答えがすぐにわかるクイズが好きですか? それとも謎を解きながらレベルアップをしていくロールプレイングゲームが好きですか? 脅かすわけではありませんが、きのこの世界はなかなかに入り組んだダンジョン(地下迷宮)のようなものです。きのこを調べる道筋に、わかりやすい地図はありません。しかし、手がかりを得る手段がわかれば、道を切り拓くことはできます。仲間もすぐにできるでしょう。
ただし、ゴールしたからといって、そこにお姫様がいたり、財宝が得られたりするわけではありません。そもそもゴールがあるかどうかもわかりません。まぁ、でも、とりあえず、最初の一歩を踏み出してみましょう。

佐久間 大輔 (著)
出版社: 山と渓谷社 (2019/9/17)、出典:出版社HP

本書の構成-ダンジョンの見取り図-

この本のねらいと取り上げていないこと

この本には写真や美しい図譜も掲載していますが、例として掲載しているだけで網羅的ではありません。なぜなら本書は眺めて終わる本ではないからです。本書は野外できのこを見つけて、そのきのこの正体を解き明かしていく方法に、ひたすら集中して解説しています。
たいていの図鑑の冒頭には図鑑の使い方が、巻末には研究の手法がごく簡単に書かれています。本書はその最初と最後の何ページかをくわしく書いてまとめたようなもので、菌類が生物学的にはどのような位置づけにあるのかなど、生物学的な基礎は逆に少ししか書いていません。また、きのこが私たちの暮らしにどのように役立っているかとか、上手なきのこの育て方などもほとんど書いていません。この小さな本がそうしたテーマまでをも担うのは荷が重すぎます。ですから、本書一冊できのこのことがすべてわかるとは思わないでください。
本書がねらっているのは、「生物学の知識を特に持たない人がきのこを手にとって、上手に図鑑を使うための手引き」(パート1~4)であり、「図鑑でもわからないことが楽しくてしょうがなくなるアマチュア研究へのお誘い」(パート5~8)です。
本書は、図鑑の替わりにも、専門書の替わりにもなりません。言うならば図鑑や専門書に気後れしている人のためのちょっとしたガイドブックです。近年、日本語でも本格的な菌類学の教科書がいくつも発行されています。正当な生物学的な解説はそうした教科書にすっぱりとゆだねます。

アイテムを手に入れよう!

本書は、きのこのことをより深く理解していただくことに目的を絞って書いています。これからどんな世界に足を踏み入れるのか、先にその見取り図を示しておこうと思います。そのときどきに入手しなければならない「アイテム」もあります。特に図鑑は、是非、手に入れていただきたいアイテムです。
また、これらのパートのところどころに、コラムとして過去の研究者のアプローチを書いてみました。偉人として紹介するのではなく、みなさんがきのこに取り組むためのワーキングモデルとして書いたつもりです。使用上の注意も守ってください。

本書の使用上の注意
●食べられるきのこと毒きのこの見分けができるようにはなりません。
●本書単体では使用せず、別の図書や書籍などと合わせてご使用ください。
●きのこの採集はマナーを守って行いましょう。観察のためにはごく少量で十分です。
●本書で紹介しているヒーターや乾燥機の使い方は、本来の使い方を少々逸脱しています。安全には十分に気をつけてお試しください。
●本書では分類に関して、(あえて)最新の見解を採用していないことがあります。最新の見解については専門書などをご参照ください。

ダンジョンの見取り図

佐久間 大輔 (著)
出版社: 山と渓谷社 (2019/9/17)、出典:出版社HP

CONTENTS

プロローグ
本書の構成―ダンジョンの見取り図―

part1
まずはきのこを眺めてみよう
1-1 キッチンマイコロジーのすすめ
1-2 マッシュルームの観察
1-3 エリンギの観察
1-4 「シメジ」の観察
1-5 マイタケの観察
1-6 観察に向かないこともあるスーパーのきのこ
1-7 キッチンマイコロジーからわかること
◆きのことは何者なのか
◆きのこのすみ場所と暮らし方

part2
野生のきのこを見る
2-1 野生のきのこを手に入れる
2-2 謎解きは現場での情報収集から
2-3 発生環境を「楽に」記録する
2-4 現場での観察手引き
2-5 よい観察はうまく持ち帰ることから
2-6 野外での撮影のコツ
2-7 デジタルカメラでの撮影

part3
きのこの謎解き
3-1 きのこは形を変える生きもの
3-2 きのこを特徴づける2つの膜と、きのこの成長過程
3-3 神は細部に宿る
3-4 ベニタケ類の観察
3-5 イグチ類のきのこの観察
3-6 お団子状のきのこの観察
3-7 記録を作る
3-8 室内の生標本撮影のコツ

part4
基本になる図鑑を持とう
4-1 図鑑で調べる
4-2 図鑑は時代とともに変わる
4-3 「古い図鑑だから使えない」というのは間違い
4-4 使用目的に合った図鑑を選ぶ
4-5 近い仲間の見当をつける
4-6 「ハラタケ型」の目のつけどころ
-ヒダの色と傘の取れやすさに着目
◆ハラタケ型のきのこの大まかな目のつけどころ
4-7 よく見るものから特徴をつかもう
-主要な中大型きのこの代表的属(グループ)
◆傘の径5cm以上のよく見るやわらかい中型から大型のきのこ24属
◆形に特徴があって覚えやすいきのこ
4-8 図鑑の記載と照合する

part5
自宅顕微鏡観察のすすめ
5-1 まず顕微鏡を手に入れよう
5-2 本当に大切なのは倍率ではなく分解能
5-3 そろえたい道具
5-4 顕微鏡で何が観察できる?
5-5 基本の観察の流れ
5-6 薬品を使って、よりくわしく顕微鏡観察
5-7 胞子のみどころ
5-8 胞子などの大きさを測る
5-9 担子器やシスチジアのみどころ
5-10 薄切り切片を作る
5-11 いろいろなきのこの顕微鏡観察
5-12 自宅顕微鏡観察上級編
-100倍油浸対物レンズで確認すべきこと、難しい点
5-13 顕微鏡観察の記録
5-14 CCDカメラで観察をする

part6
わからないきのことの格闘
6-1 記録を残す・標本を残すことの価値
6-2 標本は観察記録の物的証拠
6-3 標本の作り方
6-4 標本の保管と寄贈

part7
巨人の肩に立つ
7-1 図鑑の絵を読み取る
7-2 本郷菌類図譜と記録ノート、標本の関係を読み解く
7-3 研究者の残した論文を見る
7-4 論文の探し方
7-5 標本を活用するために
7-6 博物館に保存すべき菌類標本とは
7-7 博物館への菌類標本寄贈の実際
7-8 博物館の標本を活用しよう
7-9 本郷標本の現代菌学上の重要性

part8
きのこの名前調べを越えて
8-1 名前をよく知っているきのこの観察からわること
8-2 植物好きな人のためのきのこ研究のすすめ
そしてきのこ好きの人には植物のすすめ
8-3 昆虫が好きな人のためのきのこ研究のすすめ
8-4 エピローグに代えて
-きのこから自然を見る

参考・引用文献

Fungi Legends column
きのこ人物伝

お手本はプレサドラ 川村清一
現代の日本の菌学の基礎を築いた 本郷次雄
人々を結びつけた希代のコーディネーター 今関六也
アマチュアの巨人たち 青木実・吉見昭一
地方の博物学研究者を牽引した菌学者 安田篤
わからないものとわかったもので記録 大上宇市

mini column
顕微鏡観察はいつする?
生のきのこor乾燥標本
各地のアマチュア研究者を後押しした今関、本郷

佐久間 大輔 (著)
出版社: 山と渓谷社 (2019/9/17)、出典:出版社HP