海事一般がわかる本(改訂版)




まえがき

本書『海事一般がわかる本』は、船舶職員を目指す方々をはじめ、船舶の運航に関わるすべての方々が、最低限知っておくべき「海事」の知識を網羅して、簡潔にまとめたものである。幸いなことに、海事関係の学校の教科書を中心に、多くの方々に利用していていただいてきたが、初版発行以来、12年を経過した今般、操船、海事法規などを中心に改訂を行った。

地球上には広大な海がある。人類は、海に浮力があることを本能的に知っていた。今から約2千年前に古代ギリシアの数学者アルキメデスは、「流体中の物体は、その物体が押しのけた流体の重さ(重力)と同じ大きさの浮力を受ける」という、アルキメデスの原理を発見した。この浮力が地球上にあったことは、人類にとって大きな自然の恵みの一つであった。この力のおかげで、物の輸送は、荷馬車から海に浮く船が使われるようになった。以来、人類は船を進化させ、極めて省エネルギーに国際海上輸送を行ってきた。日本の貿易物資のほぼ100%(重量ベース)が船で運ばれていることをご存じだろうか。そうして私たちの生活は成り立っている。

海上運送に係る組織の一つに海洋会がある。海洋会は明治、大正、昭和、平成と東京・神戸両商船大の連合同窓会(正会員約1万名)であり、来年(2020年)に創立100年を迎えようとしている。海洋会員は、社会の先頭に立ち、海運及び関連産業を通じて島国である、我が国の発展に貢献してきた。会員は、このことにひそかな誇りを持っている。著者も一般社団法人海洋会の会員の一人である。どんなに科学技術が進んでも、大海原では人間の存在はいかにも小さい。大海原を駆け抜ける海の男達は、「スマートで、目先が利いて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」といわれ、いつの時代でも魅力的である。著者も多くの人生分岐点で、船乗りの世界を選択した一人であるが、悔いはない。

今、船を取り巻く環境はどうなっているだろうか。
・船体は、トン当たりの運航経費の低減を狙って大型化しタンカーにおいては50万重量トンを超えた。
・市場需要に応じて高速化し20ノット以上の高速貨物船が多くなった。
・経済的輸送のために原材料の輸送は専用船化した。
・自動制御技術の導入により機関室の一定時間当直の廃止が認められるようになった。
・コンピュータ技術の進展により、航海計器は今や単能機ではなく、総合航海援助システムとして人間に多くの情報を与えてくれるようになった。通信設備も衛星通信により簡便となった。海難救助もGMDSSとして機能している。
・省力化のために乗組員は少数精鋭化し、外国航路の日本籍船に日本人と外国二人が混じって乗り組む混乗が一般的になった。外航船に来船すると、船内は今や英語圏だと思ってよい。

今や、船乗りは、巨大ビルのオフィスの中のような船内で、巨大運送という人間社会になくてはならない貴重な任務をこなして、七つの海を駆けぬけている。この環境にいる船乗りに対して、新しいシステムを使いこなし、故障しても安全な航海ができる、運用能力と国際感覚が、求められている。次に示す写真を見て頂きたい。ハイテク機器の並んだ中に船員がいる。ハイテク機器集団の役割は、その殆どが人間に有用な情報を与えて支援することで、意志決定の一部始終は昔同然、人間が行っている。船橋の外観が飛行機のコックピットに近くなってきたといわれるが、飛行機とは業務内容の質が異なっている。船には永い歴史があり、その間に培われた船員らの知恵の集積がある。シーマンシップとは、精神的なものを主としたスポーツマンシップとは違い、本書に著述したような船舶を運用する基本的な知識・技術を利用して、多くの情報を瞬時に処理して意志決定し、それをやり遂げる能力だと著者は考えている。人間の機能の高信頼性とそれにもとづく態度、まさにグッドシーマンシップが求められている。

一方、船の事故は、その隻数の多さもあって地球の気候を決めている海を破壊する可能性を秘めている。船舶の安全には、人間自身の機能・品質が大きく関わっている、環境保全や省資源にリンクする現代の大きな課題である。技術革新の結果として生まれた超高度なシステムが複雑になるにつれて、それが新たな危険性をもたらすということもあるであろう。残念ながら、外航海運や内航海運において、大型海難事故の原因に占める人的要因の比率は上昇している。安全管理は、今や国際的になり、従来の船長から会社ぐるみの組織に移った。これからは、ますます安全が重要になるだろう。本書では、従来の、航海系の知識・技術の柱である、航海、運用、法規に並べて、船舶の安全に関わる国際条約などの基礎を簡潔にまとめた。

本書の目的は二つある。一つは、船舶職員を目指そうとする人々のための必要最小限の知識の要約である。二つは、船の運航に関して陸上支援や陸上における運航管理や安全管理が増大していることなどを勘案して、船舶職員だけではなく船舶運航に携わる全ての人々に知っておいてほしいと思う、船の運航を中心とした必要最小限の知識の海事(航海)概説である。

船舶職員を志す人々に対しては、本書をサラッと読んで飛ぶ鳥の目から見たように、海事一般を眺め、「何故?」「もっと詳しく」という気持ちを持ち、航海、機関、運用、法規、安全に関する専門書をじっくり読んで頂きたい。登山においても、今、自分がどの辺りまで登ったかということが分からないと、途中で止めてしまいたい気持ちになることがある。本書を一読しておけば、学習過程のどこにいるかが分かり、途中で挫折することは少ない。

要は、読者諸氏に今どきのグッドシーマンシップが効果的にかつ手短かに伝われば幸いである。

おわりに、成山堂書店の小川典子社長を初め、編集者のみなさん、そして、航海計器などの写真を提供して頂いた古野電気(株)に深甚の謝意を表します。

2019年6月
著者

山崎祐介 (著)
成山堂書店、出典:出版社HP

目次

まえがき

第一編 航海

第1章 航海計器の原理と機能
1 磁気コンパス
原理/測定目盛指示方式/誤差
2 ジャイロコンパス
指北原理など/測定目盛り指示方式/誤差/誤差測定/特長
3 無線方位測定機
利用法など/作動原理
4 音響測深儀
原理/特長
5 測程儀
ノット/対地速力と対水速力/ドップラーログ、ドップラーソナーの原理/ドップラーソナーの特長
6 航海用レーダ、アルパ
レーダ、アルパの登場/レーダの原理/性能/映像の障害/表示方式/ARPAによって得られる情報と利点欠点
7 オートパイロット
原理/調整/オートパイロットの取扱い
8 衛星航法装置・
測位原理/DGPS
9 AIS
AISとは/送受信される主な情報
10 ECDIS
ECDISOUECDISOWEWE
11 総合航海援助システム
総合航海援助システムの登場/総合航海援助システムの機能

第2章 航路標識
1 光波標識
灯台、灯柱/灯浮標、浮標
2 灯台の光達距離灯質(図解)

第3章 水路図誌
1 海図
海図の種類/漸長図/大圏図/海図図式
2 水路書誌の種類など

第4章 推測位置の計算と天体観測による測位原理
1 測位航法の種類
2 地球は球
3 基本用語
地極、地軸、大圏、小圏、赤道、距等圏、子午線、緯度、経度、海里/航程の線、航程、変緯、変経、東西距/船位/時
4 位置の線
位置の線の種類/位置の線の利用
5 ラムライン航法の原理
平均中分緯度航法/漸長緯度航法
6 天文航法
天文航法で使用される天文学の基本用語/天文航法の原理

第5章 航海計画
1 航海計画とは
2 航路選定の留意事項
3 離岸距離
4 危険物の離隔距離
5 狭水道における航海計画
6 浅い水域における航海計画
7 狭視界時における航海計画
8 潮汐の影響の強い水域における航海計画

第二編 運用

第1章 船の種類
1 用途による分類
2 動力機関による分類
3 船舶安全法における分類

第2章 船舶の基本用語
1 船名など
船名/船舶番号/信号符字/船籍港
2 船の主要部位の名称
3 船体主要寸法
長さ/幅/深さ/シヤー、キャンバー/トン数/吃水/乾舷/トリム

第3章 船舶の構造
1 船に加わる力
曲げモーメント/剪断力、局部荷重
2 船体の構造方式
横式構造/縦式構造/縦横混合方式
3 主要な強力部材
縦強力材/横強力材

第4章 船の設備
1 錨
錨の機能/錨の各部名称/錨鎖
2 舵、操舵装置
舵/新しい方式の舵/操舵装置
3 係船装置
揚錨機/ムアリング・ウィンチ/ボラード、ビット/フェアリーダおよびムアリングホール
4 救命設備
救命艇/ボートダビット/ライフラフト
5 消火装置
船内消火が困難な理由/防火構造、消火装置

第5章 船舶の主機、補機および推進装置
1 主機としてのディーゼル機関の原理
2 補機
3 推進装置
4 サイドスラスタ
5 ジョイスティック操船装置

第6章 当直、航海日誌
1 航海当直
2 錨泊当直
3 岸壁係留中の当直
4 航海日誌
5 標準海事通信用語

第7章 気象・海象
1 風浪とうねり
波の基本的表現/風浪/うねり
2 潮汐
潮汐現象の原理/潮汐に関する主な用語
3 潮流
潮流とは/主な基本用語
4 海流
5 航海と霧
日本近海の霧/世界の海域の霧
6 前線
7 温帯低気圧
8 熱帯性低気圧
種類/可航半円と危険半円/熱帯低気圧を避航する原則
9 航海に利用されるFAX図

第8章 操船
1 舵による操縦性能
操舵号令/変針号令/旋回運動
2 船の運動性能
舶体抵抗/プロペラ流の作用/船の馬力/速力/船の惰力
3 操船に及ぼす外力の影響
風の影響/波浪の影響/潮流の影響/水深の影響/制限水路の影響/2船間の相互作用
4 岸壁離着岸操船
係船索のとり方/着岸操船/離岸

第9章 錨泊法
1 主な錨泊方法
2 錨鎖の伸出量
3 守錨法

第10章 載貨
1 重心
船内重量物の移動に基づく重心の移動/重量物の揚げ積みによる重心の移動
2浮心
3横メタセンタ
4つり合い
5 GMと復原力
6 毎センチ排水トン数

第11章 船員災害
1 海上労働の特殊性
2 船員災害の定義など
3 船員災害の特徴
船員災害の実態/船員災害の原因/船員の災害保険制度

第三編 海事法規

第1章 海上交通法規
1 海上衝突予防法
沿革/海上衝突予防法の性格と構成/予防法における航法の原則/航法
2 海上交通安全法
沿革と目的/適用海域/航路/巨大船、漁ろう船など/航路における一般的航法/航路ごとの航法
3 港則法
沿革と目的/雑種船、特定港/入出港と停泊/航路、航法

第2章 船舶に関する法規
1 船舶法
意義/船舶の定義/船舶の国籍/日本船舶/日本船舶の権利と義務/船舶国籍証書/仮船舶国籍証書
2 船員法
沿革と目的/船員法の基本原則/船長の職務権限/船長の義務/船内紀律/争議行為の制限
3 船舶職員及び小型船舶操縦者法
沿革と目的/適用船舶/船舶職員と海技士/海技免許/海技免状の有効期間/海技免許の取消など/乗組み基準と乗船基準/海技士国家試驗
4 船舶安全法
沿革/目的/用語の意義/安全基準/航行上の条件/船舶の検査/船舶検査手帳/乗組員からの不服申立制度

第3章 その他の海事法規
1 海難審判法
経緯と目的/法の体系/海難/海難審判庁の審判/重大な海難/懲戒
2 海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律
沿革と目的/法の体系/船舶からの油の排出規制/船舶からのビルジその他の油の排出基準/水バラストなどの排出基準/クリーンバラストの排出基準/船舶からの廃棄物の排出規制/特定油が排出された場合の措置/海上火災が発生した場合の措置
3 水先法
沿革と目的/法の体系/水先人の免許制度/船長の責任
4 検疫法
経緯と目的/法の体系/検疫感染病/検疫港/検疫の義務/入港の禁止/交通等の制限/検疫済証及び仮検疫済証
5関税法
経緯と目的/法の体系/定義/貨物の積卸し/輸出してはならない貨物/輸入してはならない貨物
6 海商法
沿革、意義/法の体系/総則/海上物品運送契約/船舶の衝突/海難救助/海上危険への対応

第四編 安全

第1章 米史上最大級の原油流出事故、エクソン・バルディズ号の海難
1 概要
事故当時の船橋当直状況/米国家運輸安全委員会の報告書

第2章 海難
1 海難とは
2 主要な海難種類
3 船舶間衝突の原因
見張り不十分の内容/航法不遵守の内容
4 乗揚げの原因

第3章 海難調査に関する最近の国際海事機関(IMO)の動向
1 海難調査の充実強化
海難及びインシデントの定義/附属書「海難及び海上インシデントにおけるヒューマンファクターの調査のための指針」の骨子

第4章 洋上生存
1 船位通報制度など
SAR条約/船位通報制度
2 GMDSS
GMDSSの構成/遭難した場合のGMDSSの運用
3 最近のデータ通信

第5章 ISMコードの概要
1 ISMコード制定の経緯
2 ISMコードの特徴
3 ISMコードとISO9000シリーズ
4 ISMコードの内容
目的、適用船舶/ISMコードの条文
5 ISMコード及び関連条約略語

第6章 海上安全に関わる主な国際条約
1 海上における人命の安全のための国際条約
タイタニック号の遭難とその教訓/SOLASへの発展/SOLAS附属書の主な内容
2 船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約
制定経緯など/条約と附属書の主な内容
3 船舶による汚染の防止のための国際条約
制定経緯など/附属書の主な内容

巻末資料
索引

山崎祐介 (著)
成山堂書店、出典:出版社HP