証券アナリストのための企業分析(第4版): 定量・定性分析と投資価値評価




はしがき

本書は、読者が証券アナリストの資本市場における役割を理解したうえで、実際にアナリストが行っている企業分析手法を習得することを目的として執筆されている。

証券アナリストとは狭義には、証券会社(セルサイド)あるいは運用会社(バイサイド)の調査部に所属し、投資対象企業の分析を行い、そのうえで投資推奨を行うリサーチャーを指す。しかし、より広義には、運用会社において資産運用・管理を行うポートフォリオ・マネジャーや投資方針を策定するストラテジストなど、資本市場において多様な投資意思決定プロセスに関与するプロフェッショナルを総称することもある。

狭義の定義をとった場合はもちろん、広義の定義の場合も、日頃の業務を遂行するうえで本書に記載された内容の理解は必須のものである。

さらに本書はより欲張った目的も持っている。本書の執筆者の一人は大学・大学院にて企業分析関連の講義を受け持っているが、証券アナリストの行う企業分析を本書の過去の版(第3版)を用いて学生諸氏に講義を行った。その際、講師が当初に期待した以上に、学生諸氏が非常に興味を抱いてくれたという実感を持っている。

株式投資に興味がある学生の方は当然として、当初はさして興味を抱かなかった学生の方が中途から積極的に授業に参画するケースも多かった。この理由の1つは、学生諸氏にとってさまざまな企業分析あるいは経営分析という手法がある中で、本書の紹介する手法はよりダイナミックな側面を持っているからであろうと推定している。

ダイナミックと言うのは、一般の企業分析が過去の財務諸表分析にとどまるものが大半であるのに対して、過去についても定性分析(なぜそのような業績がもたらされたかという緻密な分析)を行いつつ将来の業績予想を行い、企業の内在価値(妥当株価)を算定するというところに証券アナリストの行う企業分析の醍醐味があるからであると推定される。

授業を行った当初には思ってもみなかった反応であった。改訂された本書を読んでプロフェッショナルなアナリストにならなくとも、証券アナリストの父と称されるベンジャミン・グレアムの言うところのインテリジェント・インベスター(思慮と分別ある投資家)の増加にも寄与できるのではないかというのが本書を著したもう1つの目的でもある。

本書の初版は1992年度に日本証券アナリスト協会が提供する教育・試験プログラムが新しいカリキュラムに移行したことを契機に刊行され、その後3版(2004年)まで刊行された。しかし、9年が経過し証券アナリストや産業・企業を取り巻く環境は激変した。企業分析に大きな影響を与える会計・情報開示制度も大きく変貌した。これらを踏まえ第4版刊行の運びとなった。

さて、本書は、導入にあたる序章に加えて4部16章で構成される。第I部は「証券アナリストの機能と役割」と題し5章で構成される。証券アナリスト誕生から今日までの歴史を概観したうえで、資本市場において果たす証券アナリストの役割、長期業績予想の意義など、証券アナリスト業務を始めるうえで知っておくべき基本的事項が4章までで把握できる。それとともに証券アナリストが職業倫理上留意すべき事項にも1章(第5章「証券アナリストとインテグリティ」)を割いている。

第II部「企業分析の基礎」は3章からなる。証券アナリストが個別企業の投資評価に着手するにあたり、マクロ経済・産業等の企業を取り巻く広範な環境の分析が必要となるが、これらの点については2章を割いている。残りの1章は業績予想を行ううえで重要となる企業による重要な非財務の発信情報について述べている。

第Ⅲ部「財務情報の分析」は5章からなる。証券アナリストはアナリスト活動にあたり、分析対象企業の過去の財務諸表の精緻な分析を行わなければならない。主要な財務諸表、財務情報に対し証券アナリストの視点から留意すべき点を丁寧に記述している。さらに、いくつもの会計基準がわが国企業を分析する場合に存在するという現実に対して、どのように対処すべきかについても述べている。それらを踏まえ、財務指標の趨勢分析を行ったうえで、投資分析上で欠かすことのできない重要指標を関連づけて説明している。

最後の第IV部「投資価値評価と投資格付」は3章からなる。証券アナリストが業績予想を行い将来の財務諸表数値を算定し、それらに基づいて自らの投資意見を形成するためには、投資価値評価を行ったうえで投資意見の表明をしなければならない。さまざまな投資評価手法が現実には使用されているが、それらを紹介するとともに、その結果を踏まえた実際の投資格付について触れている。

なお、執筆分担は、北川が序章および第I部(第1章~第5章)、第Ⅱ部(第8章)、第IV部(第16章1節~3節)、加藤が第II部(第12章および第13章)、第IV部(第14章および第15章、第16章4節)、貝増が第II部(第6章および第7章)、第Ⅲ部(第9章~第11章)となっている。
本書の執筆に関しては、構想の段階から東洋経済新報社の村瀬裕己氏には大変お世話になった。遅れがちになった本書の完成は氏の激励があって初めて可能となった。改めて謝意を表したい。

2013年9月
執筆者一同

北川 哲雄 (著), 貝増 眞 (著), 加藤 直樹 (著), 日本証券アナリスト協会 (編集)
出版社: 東洋経済新報社; 第4版 (2013/9/27)、出典:出版社HP

CONTENTS
目次

はしがき
序章■あるアナリストの1日

第I部 証券アナリストの機能と役割
第1章■証券アナリストの誕生と役割
1 ICFAからCFAIまで~米国の場合
2 CMAの誕生~日本の場合
3 資本市場の変化と証券アナリスト
第2章■証券アナリストが資本市場で果たす役割
1 証券アナリストが資本市場で果たす役割
2 ファンダメンタルズ分析に基づく内在価値の探求
3 適切なる社会資源の資金配分に寄与
第3章■証券アナリスト・投資家に与えられる情報
1 企業情報発信にはどのようなものがあるか
2 企業にとってのIR活動の意味
3 Selective情報開示とDifferential情報開示
4 IR活動の評価
第4章■投資情報の作成~時間軸と業績予想の重要性
1 投資における時間軸を考える意義
2 長期業績推移の変化を見ることの重要性
第5章■証券アナリストとインテグリティ
1 選択的情報開示問題
2 利益相反問題
3 ショート・ターミズム批判

第Ⅱ部 企業分析の基礎
第6章■マクロ環境分析
1 業績と関連の深いマクロ経済指標の特定
2 手がかりは事業別売上や地域別売上
3為替動向と為替感応度の把握
第7章■産業分析
1 業種分類とセクター分析
2 企業分析と同時並行の業種分析
3 需要国の産業構造の分析
第8章■広範な企業価値関連情報の把握
1 企業による中期経営目標をどう把握するか
2 アニュアル・レポートの重要性
3 コーポレート・ガバナンス情報の重要性

第Ⅲ部 財務情報の分析
第9章■並存する4つの企業会計基準
1 一般に公正妥当と認められる企業会計の基準
2 変化を続ける企業会計基準
第10章■主要な財務諸表の理解(1)
1 連結貸借対照表
2 連結損益計算書
3 連結包括利益計算書
第11章■主要な財務諸表の理解(2)
1 連結キャッシュ・フロー計算書
2 セグメント情報
第12章■過去の趨勢分析
1 成長性の分析
2 収益性の分析
3 損益分岐点分析
4 資産効率性の分析
5 安全性の分析
第13章■株式市場からの評価に係わる指標と企業の財務政策
1 利益概念の整理
2 EPS(1株当たり利益)
3 ROEとDOE
4 資本構成が及ぼす影響
5 ペイアウト政策
6証券市場の効率性と過去分析の意義

第IV部 投資価値評価と投資格付
第14章■資本コスト
1 資本提供者が要求するリターンとは
2 負債資本コストの考え方と負債の節税効果
3 株主資本コストの考え方とWACC
第15章■投資評価のさまざまな手法
1 DCFモデル
2 DDM
3 EVAモデル
4 EBOモデル
5 PER
6 PBR
第16章■投資格付
1 株式投資格付とは何か
2 株式投資格付の種類―相対型と絶対型
3 株式投資格付の実際
4 債券格付の実際

索引

図表目次

●図●
図1-1 企業・投資家・証券アナリストの関係
図1-2 機関投資家・個人投資家・年金基金の関係
図3-1 アサヒグループホールディングスのWEBサイト
図6-1 投資データの分析・評価
図8-1 アサヒグループホールディングスによる過去の『中期経営計画2012』の総括
図8-2 アサヒグループホールディングスが公表した新たな『中期経営計画2015』の定量目標
図8-3 アサヒグループホールディングスが示したROE10%以上目標のための具体的方策
図8-4 オリエンタルランドが『アニュアルレポート2012』で示した「独自の競争優位性」
図8-5 Novo Nordisk社の『アニュアル・レポート』に示されている「トリプル・ボトムライン」
図8-6 エーザイの『第100期事業報告書』に示されているコーポレート・ガバナンス・システム(2012年5月現在)
図12-1 小松製作所と日立建機の売上高と営業利益の推移
図12-2 為替レートの推移
図12-3 先進国合計実質GDPの推移
図12-4 小松製作所と日立建機の売上高営業利益率の推移
図12-5 小松製作所と日立建機の売上高経常利益率の推移
図12-6 小松製作所と日立建機のROAの推移
図12-7 小松製作所のROAの分解
図12-8 a社とb社の利益図表
図12-9 小松製作所と日立建機の総資本回転率の推移
図12-10 小松製作所と日立建機の固定資産回転率の推移
図12-11 小松製作所と日立建機の運転資本回転率の推移
図12-12 小松製作所と日立建機の棚卸資産回転率の推移
図12-13 小松製作所と日立建機の売上債権回転率の推移
図12-14 小松製作所と日立建機の買入債務回転率の推移
図12-15 小松製作所と日立建機のインタレスト・カバレッジ・レシオの推移
図12-16 小松製作所と日立建機の自己資本比率の推移
図12-17 小松製作所と日立建機の固定比率の推移
図12-18 小松製作所と日立建機の固定長期適合率の推移
図12-19 小松製作所と日立建機の流動比率の推移
図12-20 小松製作所と日立建機の当座比率の推移
図12-21 小松製作所と日立建機の有利子負債/EBITDA倍率の推移
図12-22 小松製作所と日立建機の有利子負債とEBITDAの推移
図12-23 小松製作所のキャッシュ・フローの推移

●表●
表3-1 平成24年度ディスクロージャー評価比較総括表(食品)
表4-1 業績予想の主体と時間軸
表4-2 経営者予想の開示手段と対象
表4-3 経営者予想の問題点
表4-4 大手医薬品企業A社の主要財務指標
表6-1 景気指標の分類
表6-2 建設機械大手メーカー2社(小松製作所と日立建機)の地域別売上高(2011年度)
表6-3 日立建機の予想為替レートの推移(2010~11年度)
表7-1 東証業種別株価指数の分類項目
表7-2 アナリスト・ランキングの27業種
表7-3 中国の石炭消費・生産・輸入(2010年暦年)
表8-1 会社提出議案に対する賛成・反対・棄権・白紙委任の議案件数(2012年度)
表9-1 決算短信に掲載される主要な4つの連結財務諸表
表9-2 有価証券報告書に掲載される個別財務諸表
表10-1 小松製作所の2012年3月期の連結貸借対照表〔米国基準〕
表10-2 日立建機の平成24年3月期の連結貸借対照表〔日本基準〕
表10-3 日本板硝子の平成24年3月期の連結貸借対照表〔IFRS〕
表10-4 小松製作所の2012年3月期の連結損益計算書〔米国基準〕
表10-5 小松製作所の第143期(2012年3月期)の連結財務諸表に関する注記〔米国基準〕抜粋
表10-6 日立建機の平成24年3月期の連結損益計算書及び連結包括利益計算書〔日本基準〕
表10-7 日本板硝子の平成24年3月期の連結損益計算書及び連結包括利益計算書〔IFRS〕
表10-8 日本板硝子の平成24年3月期の連結財務諸表注記〔IFRS〕抜粋
表10-9 小松製作所の第143期(2012年3月期)の損益計算書〔単独・日本基準〕
表10-10 小松製作所の第143期(2012年3月期)の製造原価明細書〔単独・日本基準〕
表11-1 小松製作所の2012年3月期の連結キャッシュ・フロー計算書〔米国基準〕
表11-2 日立建機の平成24年3月期の連結キャッシュ・フロー計算書〔日本基準〕
表11-3 日本板硝子の平成24年3月期の連結キャッシュ・フロー計算書〔IFRS〕
表11-4 小松製作所の2012年3月期のセグメント情報【種類別】〔米国基準〕
表11-5 小松製作所の2012年3月期のセグメント情報【地域別】〔米国基準〕
表11-6 日立建機の平成24年3月期のセグメント情報〔日本基準〕
表11-7 日立建機の平成24年3月期の関連情報〔日本基準〕
表11-8 日本板硝子の平成24年3月期のセグメント情報〔IFRS〕
表11-9 日本板硝子の平成24年3月期の個別開示項目前営業利益までの主な項目〔IFRS〕
表11-10 日本板硝子の平成24年3月期のネット・トレーディング・アセットと資本的支出〔IFRS〕
表11-11 小松製作所と日立建機の地域別売上高比較(2010年度・2011年度)
表13-1 日立建機の平成24年3月期の連結包括利益計算書〔日本基準〕
表13-2 株式分割が行われた場合のEPSへの影響
表15-1 定額モデルを用いた継続価値の計算例
表15-2 EVAモデルを用いた継続価値の計算例
表16-1 アナリストX氏によるカバレージ企業15社の妥当株価と投資評価

北川 哲雄 (著), 貝増 眞 (著), 加藤 直樹 (著), 日本証券アナリスト協会 (編集)
出版社: 東洋経済新報社; 第4版 (2013/9/27)、出典:出版社HP

序章 あるアナリストの1日

Aさんは、X証券会社の日本の医薬品セクター1)担当の証券アナリストである。種々の外部機関が行うランキング評価でも、最近10年間は常にトップランクに位置している。彼の大学時代における専攻は薬学部である。さらに修士課程まで進み、大学院修了と同時に証券会社の調査部に入社した。

今年で入社20年になる、最初の3年間は先輩アナリストのアシスタントとして活動していたが、入社4年目に希望が叶い、所属する企業から2年間米国のビジネススクールに派遣されてMBAを取得している。なお、証券アナリスト資格(CMA)は入社3年目に取得している。

ビジネススクール修了後の6年目からは、日本の医薬品セクター担当として一人立ちすることになった。振り返ってみて、証券アナリストの資格を獲得し、そのうえでビジネススクールにおいて勉強する機会があったことは、現在、非常に貴重な財産になっていると彼は思っている。

薬学部出身で薬剤に関する知識が多少あったとしても、アナリストとして本格的活動をするうえでは、1先輩についてアシスタント業務に従事しアナリストとしての基礎をマスターしたうえで、2資本市場、財務分析、コーポレート・ファイナンス、証券投資の基礎理論などを体系的に学ぶ必要があるからだ。開発品の薬剤の評価をある程度できたとしても、対象となる企業の投資価値を冷静に分析するにはこれらの知識は欠かせないからだ。

さて、Aさんの役割は、日々、ユニバース2)対象の企業についての新たな情報をウオッチし、投資意見を形成することである。

Aさんは平日は、早朝午前5時には起床し、自宅のPCから会社のPC環培にリモートアクセスを用いて入り、自分宛に入ってきたメールをチェックする。もちろんQUICK社やブルームバーグ社などの投資情報サービス会社の端末から得られる最新情報を一覧し、朝食をすませた後に5時45分発の通勤電車に飛び乗る。

幸い、朝早いため毎日の通勤では座っていける。その間、新聞4紙のチェックをくまなく行う。時は1月の中旬である。今日の彼の一日を追ってみよう。

会社には午前6時30分には到着する。東京の冬の朝は寒くまだ暗い。社内営業部門との会議は7時45分の開始である。それまでに考えをまとめて、会社内のデータベースに7時20分くらいまでには必要なコメントを打ちこむことになる。今日は大手企業B社の新薬開発のニュースが米国から飛びこんできた。

B社が米国大手企業C社と共同開発している化合物についての米国における臨床試験の結果(データ)が、専門の学会で公表された。それについてC社をカバレージの対象としているニューヨーク在住のアナリストが、さまざまな意見をすでに顧客(機関投資家など)に披瀝している。もちろんAさんのカウンターパート3)であるニューヨークのアナリストの携帯電話には、会社に到着してすぐに連絡を入れていた。

これらの結果は、Aさんの元々の予想を大きく上回るものであった。Aさんは早速、大手企業B社に関する自らのこれまでの業績予想モデルの修正を行い、目標株価を3,200円から3,650円へと上方修正した。昨日のB社の終値は3,080円であった。また、投資格付をイコール・ウエイトからオーバー・ウエイト4)に変更した。

これらを30行程度の本日の速報レポート(ある証券会社ではFLASH REPORTと称している)としてまとめ、会社内のデータベースにインプットする。そして、7時45分からの社内営業部門との会議において概要を報告する。RTビル内ではあるがフロアが異なるため、実際の会議ではアナリストそれぞれが自席からテレコンファレンス用の電話機を用いて簡単にコメントすることになる。

そこで営業部門からの質疑応答があり、コンプライアンス部門の迅速なチェックを受けたうえで、所属するX証券会社の顧客である機関投資家に8時20分前後にはAさんのまとめたレポートが配信される。

幸い現在は決算発表シーズン5)ではないので、てんてこ舞いするほどの忙しさではない。しばらく会社にいて、医薬品関係の専門誌の新刊に目を通している時間が今日はある。投資判断に影響を与えるものは、企業からの発信情報だけではない。

医薬品会社の企業価値に大きな影響を与えるものの1つに、将来の業績を大きく左右する開発品目に関する評価がある。過去の例を見ると、大手企業であっても1品の開発品の成功によって会社全体の利益が5倍~10倍になったという例も珍しくない。株価も連動して上昇するケースが通例であり、それゆえに開発品の評価をどのように行うかはアナリストにとって重要な仕事である。

もちろん専門誌や学会において発表(リリース)された事象について、当該企業のWEBサイトでダウンロードできるようになっている場合もある。しかし、他社(海外企業であることが多い)の競合する開発品にまで目を配るには、広範な最先端の情報に目配りをしていなければならない。専門誌に目を通している合間にも、機関投資家のファンド・マネジャー6)、バイサイド・アナリスト7)からは頻繁に電話が入ってくる。

会社への直通電話のこともあるし、携帯電話のこともある。PCメールによる問い合わせもあるAさんは、これらの問い合わせには迅速に答えることにしている。顧客の問レベルはさまざまである。もちろん今日話題になった化合物について、B社のIRオフィサー8)に内容を確認することも怠らない。

ヘルスケア関連のテーマ型ファンド9)を運用しているベテラン・ファンド・マネジャーの場合は、相当な知識がある。経験年数の長いバイサイド・アナリストの中には、Aさんとほぼ同等の知識も持つ人もいる。彼らとの会話は、投資格付の変更にこだわったものではないことが多い。

なぜなら彼ら自身が投資判断を行うため、むしろ議論の焦点は純粋な開発中の薬剤の可能性について論議することが多いためである。これに対して経験年数の浅いファンド・マネジャーを相手にした場合には、投資判断そのものを議論することも多い。

そうこうしているうちにお昼になる。何もなければ自席で同じビルの中にあるコンビニで買ってきた弁当を広げながらカンパニー・レポート10)を書くことが多いが、今日は、あるがん専門病院の医師であるDさんとランチをすることになっている。がん関連の学会で質問した際に知己を得て、その後、医薬品専門誌の座談会において対談をすることによって交流が深まった人である。

今日は、抗がん剤治療の最前線で何が起こっているのかをDさんから教わる絶好の機会である。Aさんはそこでの話の内容を踏まえ、顧客である機関投資家を集めたスモール・ミーティング11)での講演をDさんに依頼し、講演日を決めることとした。

ランチの後は、担当している医薬品企業を1社(E社)と、顧客の機関投資家を訪問することとなった。現在、E社の場合には業績等の取材についてはクワイアット・ピリオド12)に入っているため、IRオフィサーに依頼し最新の研究開発状況についてインタビューすることになっている。E社の場合、IR担当者は3人おり、そのうちの1人は研究開発の部署出身である。今日は彼を訪問することになっている。

結局、Aさんが会社に戻ったのは午後7時であった。各社の株価動向、出来高についてチェックし、気になる動きがないか見る。そのうえで、営業部門から依頼のあったロンドンの機関投資家のファンド・マネジャーとテレコンファレンスを1時間弱行い、会社を出たのは9時ごろであった。

以上がAさんのある1日である。これ以外にもさまざまな仕事があるが、ここでは典型的な例を示している。読者の方々はどのようにお感じになったであろうか。医薬品セクターのアナリストの例をあげたが、他のセクターの場合には「働き方」が異なるかもしれない。小売業セクター担当の場合には実際に店舗を訪ねて状況を見たりすることは必須であろうし、自動車セクターの場合には新車の乗り心地を発表会の時に試さなければならないであろう。

しかし、ここで重要なことは、アナリストにとって、新たな情報に対して資価値を算定することが重要な仕事の1つであるということである。そのために専門的な知識を養い、好奇心を持って仕事にあたることが必要であろう。

かつて一世を風靡した著名な医薬品アナリストが「実はコミュニケーション能力、人柄が重要なのです」と述べていた。この意味するところは、薬学部出身で薬剤の知識が豊富であっても、学生時代に学んできたことは狭い領域にとどまる。

しかも、日進月歩の世界では自らが相当な努力を毎日怠らないとともに、企業サイドおよびアカデミック・サイドからのインプットあるいは刺激を吸収する柔軟性を持たなければならない。そのためには、人と円滑にコミュニケーションしていくための能力が備わっていなければならないということなのであろう。

一方では、必ずしも薬学部出身でない医薬品セクターのアナリストの方も多い。アナリストになってからの努力と資質が大事である、ということであろう。

アナリストの中には、20年程度のキャリアのある人が珍しくない。さまざまなキャリアの人が自らの強みを生かしている世界でもあると言える。また70歳近くで現役のアナリストの方もいらっしゃるし、アナリストをリタイアしてコンサルタントや関連分野の企業の幹部社員として活躍されている方もいる。

本書をお読みいただき、プロフェッショナルなアナリストを志していただくことを期待したいと思う。

1)アナリストが調査する業種を「担当セクター」という言い方をする。例えばアナリストは顧客である投資家に「私は自動車セクターを担当しています」という自己紹介をする。

2)アナリストは専門の担当業種を持つが担当業種のすべての上場企業をカバーして投資意見を開示するとはかぎらず、重要な投資対象企業を選択する。それらの投資対象企業をユニバースと通常呼ぶ。

3)グローバルに業務を展開する証券会社や運用機関の場合、ロンドン、ニューヨーク、香港、東京などに拠点を持ち、同一セクターを担当するアナリスト同士で意見交換をすることは必須である。特に医薬品セクターやITセクターなどの場合には、意見文代が頻繁になることが想定される。

4)アナリストの投資格付の設定方法は第16章で示すようにさまざまである。Aさんの場合は、当該B社銘柄を「時価総額ウエイト並に保有すべし」(イコール・ウエイト)という意見から「時価総額ウエイト以上に保有すべし」(オーバー・ウエイト)というより積極的な投資意見に変えたということを意味している。例えばB社が医薬品セクターの時価総額ウエイトで12%を占めている時、それ以上のウエイトを機関投資家のポートフォリオ構成上では保有することを勧めるという意味になる。

5)日本企業の場合、年次については3月決算が多いため5月上旬が決算発表シーズンとなる。年次決算の発表にあたっては、非常に詳細な決算概要の説明および次年度の経営者予想の開示が行われるため、最も重要な時期となる。もちろん7月下旬頃、10月下旬頃、1月下旬頃にある各四半期決算の発表も、アナリストにとって多忙なシーズンである。

6)機関投資家においてファンドを運用する専門家をファンド・マネジャーと呼ぶ。ポートフォリオ・マネジャーという名称が使用されることもある。

7)アナリストという時、一般には、証券会社に所属するアナリストを意味することが多い。セルサイド・アナリストと呼ばれることもある。これに対して機関投資家に所属し、社内のファンド・マネジャーの投資意思決定に大きな影響を与えるのがバイサイド・アナリストである。本書ではたんにアナリストという場合、特に断りのないかぎりセルサイド・アナリストを意味することにする。

8)上場企業において、投資家・アナリスト向けにIR部門(Investor Relations Division)が設置されていることが多い。そこでのIR担当責任者は通常IRオフィサーと呼ばれる。

9)日本株式運用においては、TOPIXをベンチマークとして運用するオーソドックスなファンドがある一方、グローバルなセクターに着目した、例えばヘルスケア産業のみに特化して投資をするファンドも存在する。このようなファンドを通常、テーマ型ファンドと呼ぶ。

10)アナリストはさまざまな種類のレポートを作成する。日々生起した問題に対していち早く作成するという速報性に重きを持つレポート(本文前述の「速報レポート」などがそうである)がある一方で、新たに調査担当をした企業に対して沿革も踏まえて詳細なレポートを作成することもある。こういったレポートは「ベーシック・レポート」と称されることもある。その間に、定期的に決算状況をフォローしたり、ある特定のテーマ(研究開発の状況や中期経営計画説明会等)に焦点をあてて作成されるポートは「カンパニー・レポート」と称される。もちろんレポートの名称は各証券六社でさまざまである。また担当するセクター全体の動向をフォローする「セクターレポート」と呼ばれるレポートを作成することもある。

11)第3章で示されるように、企業のIR活動の一環として、証券会社において、顧客で
ある機関投資家のファンド・マネジャー、バイサイド・アナリストを招いて行うミーティングのことである。このケースのように、専門の研究者をプレゼンテーターとする場合もあるし、企業のトップマネジメントをプレゼンテーターとする場合もある。

12)企業は、決算発表の数週間前からは、業績に関連する情報のリークを避けるため、セルとパイの両サイドのアナリストやファンド・マネジャーの訪問あるいは電話取材を受け付けないことが通例となっている。

北川 哲雄 (著), 貝増 眞 (著), 加藤 直樹 (著), 日本証券アナリスト協会 (編集)
出版社: 東洋経済新報社; 第4版 (2013/9/27)、出典:出版社HP